NAOBON’s diary

日々の心の発見を多くの人に伝えたく綴って居ります!

☆最後を迎えた私の在り方☆

~これからの私に必要な生き方~


①自分の理想や本質的なものを、他人に押し付けない。



②誰かにとやかく言われぬ様に、自分の人生や在り方に責任を持つ。



③経済面よりも先ずは心の自律を果たし、「愛される」事を望まずに「愛する」事に生きる。







最後まで他人は他人なのだから、自分の生きる道に他人を巻き添えにせず、自分らしく本質部の愛に生きる事を今日、自分に宣言する。


自分から愛を具現化したり表現したりする事は、常に誰かからの愛を求めている事とイコールになるので、一切、愛を形にはしない様、心掛ける。


このブログも自分の整理用として記す事に、今日決めた。何かを誰かに伝えると必ず誤解が生じるから、このブログは自分の為に記しているものとする。


心が愛に生きるとは、態々「誰かの為に善かれー」などと意識して善行をする事とは異なる。
心一つで進み、濁りを心に寄せ付けない事を意味する。


社会の中、周りの人間と切磋琢磨して道を切り開く次元は私の中では終了した。
誰かに何か言われて辛いなら自分で言われぬ様にちゃんと生きるべきだ。


皆をもう導けると豪語しても、誰にも信じて貰えないだろうし、第一、愛の押し売りになる。
こっそり然り気無く愛に生きる事、そしてもう誰も巻き添えにはしない事が、これからの生きると言う意味である。


最後の神界を知っている者として、人間界と神界の橋渡しを試みたが、もうそれも必要無いだろう。


もう何も必要など無い。唯、私自身、愛されようとした事がもっとも罪深い愚かな世界だったのだ。


人間界にも皆と同じ感覚を戴き、神界にも神からの愛を戴き、どちらにも心の半身ずつを置きながら、双方の在り方を自分の中で消化し、人間の皆さんに救われ方を伝授しようとここまで格闘し続けたのだが、最早必要無いだろう。


私は最後を知り続けて行く。
でもそれを誰か他人に伝えようと意気込んでも、この世には表現を取らずして伝える事は叶わないから、私は必ずしも皆さんにもう神からの愛を伝えようとは思わない。


必ず表現は誤解を招くから、本質的な永遠愛は伝えるべきものでは無かったのかなと思う。


最終的に私は、これから何をこの世ですれば良いのか?


ここに今、生きている理由は何か?


色々思っても、私にはこの現実社会の中にポチりと私が存在し続けて行く毎日しか展開されて行かない。


私はこれからどうなって行くのかな?
もう唯、淡々と毎日をこなしていく皆さんの様な日常に入って行くだけなのかも知れない。


でも何か、どこかに変化はやって来るだろう。
私には何が出来たのか?
私のいのちはどこへ向かうのか?
これからをも逃さず生きて行きたい。




終わり