NAOBON’s diary

日々の心の発見を多くの人に伝えたく綴って居ります!

神の前での私達の在り方、如何や?

私達の中には二つの気質がある様な気がする。一つは「オンリーワン」を目指す個々を大事にする性質である。そしてもう一つは「ワンネス」と言う性質で、これは我々は本来一つであり、個やエゴを棄て神なる光の元に一つに集結するのが、私達の本来の姿であると言う在り方だ。














よくオンリーワンを叫ぶ人間は、逆に個を愛する者同士で集結し、ワンネスの大切さを学んで居る事が多い様に私は感じる。そしてワンネスを叫ぶ人間はその反対で、一つになろうと無理に頑張るから、この不完全世界で異端視され、孤立しながらの苦戦を強いられ、結局、人間は個であったと気付かされ、独りで自立する在り方を習得する傾向がある様に思う。















私などは、ワンネスを叫んでの孤立派である。因みに私の旦那さんは逆にオンリーワンを叫んでは和に生きるタイプだ。私達は真逆なので、関係性はチグハグで、私はよく旦那さんから色々学ばされて居る。私から教えようとしても、オンリーワンが元々得意な彼だから、個としての主張が強く、私のワンネスを求める心を理解しない。とかく社会に於いても、個として自立をして生きる人間が多い社会の為、ワンネス派はやはり孤立し、意見が通らず、オンリーワン派の強い影響を受け、個の確立に傾き勝ちになる事もある。
















その中で、私の友達や若い頃お世話になったカウンセラーなどは、ワンネスもオンリーワンも両方大事にするタイプである。結局、神に忠実に生きるならワンネスで神の元に一致団結して集結だし、永遠に私達は「個である事を避けられない」事実に則すなら、神に対し謙虚に、永遠に個を自覚し、多少ワガママでも個として神に許されのびのび生きるのも、確かに一つの手なのである。
















だから別に彼らの様にバランスを取る事にも頷ける私なのだ。神はどちらも許して居るのなら、確かにどちらの道も正当化されるから、バランスを取って居る者が一番賢い様な気もするのだ。どの道を生きるかは一人一人次第なのかも知れない。














しかし、私ならやはり「ワンネス」派が一番かも知れないなと思う。ワンネスが心地好いと言うのもあるかも知れない。一つになった方が皆が幸せになれる気がするのだ。バラバラの個性も良いけれど、神の光の中で互いを尊重しあった方が、永遠に幸福が持続する様な気がするのだ。それは多分私が、全ての闘いを終えた世界から来て居るから解って居る事なのだろう。
















私はオンリーワンの個性尊重でも、個と集結のバランスを取っても、そしてワンネスだけに生きてもどれでも良いとは思う。唯、一番効率が良いのが、永遠界にまで到達する「ワンネス」だったのでは無いかなと思う。個としての存在に生きる時、人間はどうしてもエゴと言う必ず朽ちる「限界」との出会いを経験する。そして個としての自分では、最後まで限界との格闘が続き、神との出逢いに至れずもがき苦しみ続ける事になる。
















愛とは本来、永遠であり、永続して行ける。だから神との合致や神から投げられる事により頂ける愛はどこまでも無限であり、永遠に神と合致し続ける事でその個の存在は永遠に神なる「永遠愛」の中で生きて行けるのだ。私達は神を自分の中に戴き、神と共に輝く事で、全ての存在の未来永劫の希望と光が約束されるのである。だから皆が一人一人、個で生きるよりワンネスを目指した方が、道はより確実だったと思うのだ。