NAOBON’s diary

日々の心の発見を多くの人に伝えたく綴って居ります!

「永遠完全界よ、こんにちは!」

皆の居る世界は、とりあえず「永遠ならざる世界」である。その世界の下には不完全界と完全界がある。そして不完全界の下には「不完全愛」と「永遠理」とがある。











そもそもの大元が「永遠ならざる世界」なので、たとえ完全界に生きようと不完全界に生きようと、それはとても苦しいものとなる。たとえば「完全界」だとオンリーワンを主張してみても、エゴとエゴのぶつかり合いにもがき苦しむ事になる。そして「不完全界」だと、その下にある「永遠理」は誰かのせいにしてグルグル思考ばかりが回り、「不完全愛」だと一度誰かのせいにしてから、共に進もうとして背負い返すものだから、どちらも他者の存在が「自立した自分」を確立出来ないままに、依存の対象になってしまって居る。













「永遠ならざる世界」の「不完全界」では、ワンネスを目指しての依存が見られる。そして逆に「完全界」ではオンリーワンを目指しての自立は見られるものの、「個」を確立してしまうものだから、他存在との衝突を避けられない。














「永遠ならざる世界」では、ワンネスもオンリーワンも他者との関係性に於いて、問題ばかりをはらんでしまう。そこで浮上して来るのが、「永遠なる世界」なのだ。永遠界では、幾ら他者に尽くし理で解明したり愛に生きたりしても、それは「不完全界」要素を含むので、誰もが信頼して付いて来るなどと言う事はあり得ない。













そこで永遠界に於いて極めて有効になって来るのが、「完全界」である。これは個として自立するオンリーワンを目指す世界なのだが、ワンネスの要素を含むのだ。全体の統率や一つの集合体を意識しながら、各々が自立して生きる世界。ワガママではない愛の世界を用意しながらの自立の世界だ。













だからワンネスと言う不完全界に属す世界と、オンリーワンと言う完全界に属す世界の良いトコ取りをした在り方、これが「永遠界」では可能になるのだ。ではそもそも、永遠界とは何の事を言うのか?













永遠とは「永遠に諦めない心を持つ世界」と言い換えられようか。神は全智全能である。その神に私達は永遠に成れない。だけど諦めない事だけは出来る。その全智全能を目指す永遠の闘いこそが、私達を永遠に神なる世界に近付けて行ける原動力になりうるのだ。神を諦め遠ざけるから、いつまでも他者に依存したり、他者と衝突したり、私達と言う存在同士ですら愛し合えない。













神を近くに感じ、神との合致を図るべく、永遠に神に心をリンクさせ、疑いもせず希望の光に包まれ切るとき、私達は一個の自立した魂として、永遠の愛や光と一体化するのである。「永遠」とは神の前の民として「永遠に諦めない」と言う意味と、「神が『永遠』である」と言う意味での二つがある。永遠完全界に入る事は理屈上無理では無くなった。あとは皆一人一人がどれだけこの世界を信じ、自分のものにして行けるかだけである。