NAOBON’s diary

日々の心の発見を多くの人に伝えたく綴って居ります!

~これから覚醒を進め行く私への指針~

① 心と表面なら心を重視し、添え物として現実的表面と関わる。

② 言葉に代えて永遠に解明し続ける完全理も、不完全界の産物であるから、ホドホドにする。

③ でも言葉による解明などを通して、覚醒は進めて行かなくてはならない。

④ やがて覚醒の度合いが進むと、意識が希望オンリーの神なる光世界への確信だけに変わるであろう。










今のところの私の中の最先端情報はここまでである。












人間は普通に人間らしく生き、存在して居るので、私の様な存在は周りとの異(ちが)いに翻弄される事ばかりだが、自分が人間では無かったと、魂の中身の異(ちが)いに素直に忠実に生きる事しか道は無い様である。












他者の質が悪いとかでは無い。他者は私と質が異なるのだとしっかり認識しなければいけない。特殊な私だったからこそ解る事がやまほどある。











自分が身体を持った意味では、形としては人間ではあったのだが、心や魂と言う中身の意味で人間では無かったのだから、形よりも中身で全てが決まるこの存在界に於いて、私が人間では居られず苦しみ抜くのは当たり前だったと理解しなくてはならない。












トコトン独りぼっちであったと覚悟しなくては、この性質でこの世を生きて行く事は困難である。誰かと闘うと言うよりは、自分の異質性を自己認識して自分の中に秘めて置いた方が賢いだろう。












愛し合う事は同じ質でないと困難であろう。神なる愛を心得て居ても、この人間界では通用しないとほぼほぼ理解して置いて間違い無いだろう。













仲良い人間が多少出来たとしても、その者が人間であった事を忘れてはならない。永遠に自分が独りであった事を深く強く認識し続けるべきである。













この世は私にも修行の場である。でも自分の魂を高めるのに他者を巻き添えにしなくても良いのだ。私が皆から刺激を受け止め、それを自分の問題に切り替え、自分で解明し、自分が成長し、前進し続けるだけである。













誰かが私のせいにしたと感じても、私はそれを受け止め成長の糧に変えられる術を心得て居るのだから、その流れが来るのは当然である。














他者をこの野郎と思ったり、独りで寂しいから誰かを巻き添えにしようとか思ったりはしなくて良いのである。













全ては私の魂の修行の為にあると心得て、全てにぶつかって行く心を持ち続ける事である。