NAOBON’s diary

日々の心の発見を多くの人に伝えたく綴って居ります!

理念や完全愛について

不完全な愛は形を取る。

完全なる愛は心で伝える愛、若しくは神なる無償の愛(「アガペー」)を言う。

不完全な理は正義と同義である。

完全なる理は理念として「イデア」の様に心の中に住んで居る。











意識を巡らせると、どんどん際限無く心の奥へと探求は進む。

そして誰かの無意識の不完全を責めたくなったり、自分の不完全が恥ずかしくなったりする。

要は、無意識で生きられたなら、不完全は自然な事として許されるし、

完全だって神なる世界としてリンクを自然に許される。

無意識をどんどん有意識に切り替えて行く作業は、本当に危険なほどにタブー視されて居る。













私が辿り着いて居る、永遠に戴いて行ける「理」は、

無意識を有意識に切り替えて行く作業の中でどんどん現れて来る。

これを書いて居ても、そのどんどん理屈が入り込んで来るので、

それに任せて書いて居る。

結局は、私の理は完全形としては入って来ない。

次々、更なる新しい理屈が入り込んで来るので、

これはイデアでは無いと言えよう。













このまま全部を解明して行けそうな気がするのだが、

無意識を有意識に掘り下げる作業は、人智を超えてやる事なので、

本当は在ってはならない事なのかも知れない。

だから心の中で皆に睨まれて居る様な気がするのである。













どうすれば完全愛(アガペー)と完全理(イデア)に到達出来るのか?

不完全愛だと不完全理によって人間世界では攻撃される傾向がある。

そして人間の不完全に対して正義など不完全理で追及すると、

私達の攻撃のやり合いが留まらずに、誰もが傷を負いまくり、

いつまで経っても誰も幸せになれない。














不完全な世界に在っては、不完全な愛も不完全な理も、

幾ら投げ合っても投げ合っても、私達は幸せを見る事は無い。

完全界に入る事が望まれるのだが、ではどうすれば入れるのか?

理屈を追い求めて、私がどんどんこの様に解明して行っても、

不完全界の無意識部分が有意識に変わるだけで、

なんら完全界には入る事は無い。

それとも完全界に入るとは死ぬ事を意味するのだろうか?













不完全界に居る間は、黙って人間らしく不完全に観念して、

無意識世界からの報果を待つしか無いのだろうか?

私は完全界を乞い求めるあまり、全ての自分の意識を有意識に切り替えてしまった!

なんて事をしてしまった!

私は馬鹿者かも知れない!














私は自分から無意識世界に働き掛け、無意識の無限の世界を、

有意識に下ろそうと必死こいてしまって居る。

無意識を無意識として放置して戴けるものだけ、

自然と下りて来るものだけを戴いたのなら、

こんなに睨まれもしなかっただろう。











私は終わった人なのかも知れない…。

もう、何故生きて居るのかを問答する毎日である。

あ、そう言えば、イデアアガペーはどんな関係性なのだろうか?

完全なる理と完全なる愛は、どんな繋がりが有るのか?

考えが浮かばない…笑

これ以上考えると、完全界に入ってしまうかも知れないから、

辞めて置こうかな?笑











私は結局、タブーを犯しただけなのかも知れない。

私は最早、ここに生きる意味など考え無くても、

命あるうちは生きた方が良いのかも知れないから、

もう、黙って日常に戻ろうかと思う。

ここまでお読み頂き有り難うございます。