NAOBON’s diary

日々の心の発見を多くの人に伝えたく綴って居ります!

~本格的に社会からはみ出した私の生き方~

人間と言うもの、普通は社会に帰属し、

周りとの現実的な関わりや社会的成果を求めるものだろう。

しかし私にはこの様な社会との接点が全くと言うほど存在しない。

何故なら、社会や現実に漕ぎ出す事が、私にはエゴに思えるのだ。

社会の中で生きる意味を見出だし、社会との関わりを生きる事が、

何か私には、無価値に思えて来たのである。

そりゃ、人間同士の関わりは楽しかったり、刺激を受け合って勉強にもなったりする。

だけど、それが最後の答えでは無かったのだと、

最近、私は気付けてしまったのだ。




















私は独りぼっち、家に居ても、

皆との騒いだり笑い合ったりの現実の楽しみを思い出さない訳ではない。

寧ろ、家に独り、する事も無くジッと寝転がって居るのは、

苦痛にすら感じる事もしばしばで、

時に生きる意味すら見失いそうになる位だ。

なのに、何故社会に出て行かないのか?

と思われるだろう。

実は私は障害者であるせいもあって、勤労の場所とは比較的接点は無いのだ。

そして友達や地域との繋がりも殆ど音沙汰も無い状態。

私から関わりを求めても、皆が私には何故か寄って来てはくれない。

私は誰にも尽くせる気持ちや皆との和を求める心で生きて居ても、

誰にも面白いくらい、気付かれないのだ。

私からのアプローチが苦手で、私は比較的受け身に徹してしまい勝ちなのも、

その原因になって居る気は確かにする。




















いつも独りで居る事が非常に多い。

皆との関わりを求めるほど、何故か皆、遠ざかって行くばかりである。

人間が嫌いな訳でも無いから、結構、今の状況は本当はキツイ。

だけど誰に言っても真剣に聞いて貰えず、

皆、自分の生きる事や生きる意味にのみ、無我夢中で、

私の事など誰の眼中にも無いようなので、

私は皆さんの現実から抹消された存在なのかも知れないなと思い始めて居る。

このブログを読んでくれる人も今のところ、皆無なのも面白い事だ。

段々、現実社会から忘れられ始めて居るのだな、私は。

こうして人間の命って消えて行くのかな、とも思う。



















だから、である。

私は心の世界で、独りぼっちでも幸せになって行こうと思ったのだ。

誰かと寂しさを分け合って、関係性を貪り合うのも、

一つの生き方ではあるだろう。

でも私はエゴで誰かを利用したり、誰かで寂しさを紛らわすのも、

何か違うと思うのだ。

自分の苦しみも寂しさも自分で解決出来そうな気が、

今はするのだ。

それは別に永遠に独りで生きると言う意味では無くて、

私が迷惑を誰にも掛けずに、でも皆さんの面倒は見られる、

そんな人間になれそうな、気がして居るのである。

誰かと関わるのに、自分も弱味を握られて居る事がこの世は大半だから、

でも世の中はそれを持ちつ持たれつとか言って、

助け合いだから仕方ないとする風潮がある。



















私は自分が誰かに助けられるのが元々嫌いでは無かった。

だけど皆があまりに迷惑そうな顔をするので、

そして時にガツガツ責められたりもした経験も相まって、

私は自分の弱味を晒す事に恐怖を感じ始め、

他人の前で自分を出せなくなって行った。

そして今は自分の事を差し置いても、

誰かや周りを一番に考えられる人間になったつもりだ。

だから誰の事も今は救える様になった。

でもそうしたら逆に他者は私の周りには集まらない様になってしまった。

面白いですね。

他者に弱味を握られ、持ちつ持たれつをしなくて済む、

他者に一切面倒を掛けない人間になれたと思ったら、

逆に関わりは遠ざかり、人間社会から自分がどんどん外れて行くと言う悲しみを見る事になってしまうなんて…。

私は他者と心地好い関係性を求めて、

自分のエゴと向き合って、独り心の中で格闘を続け、

いよいよ、達成し、皆の元に戻ろうとしたら、

もう居場所は無くなってしまって居ただなんて。




















ああ、関係性は持ちつ持たれつでお互いのエゴを教え合って、

互いに成長し合えるからこそ、関係は続くものだったのだな。

関係性が辛いからと、独り完全を求めて、独りぼっちの闘いをしてしまっても、

社会なんて確かに必要性を無くしてしまい、

関わりは皆無にもなるものなのだ。

誰かとヤイノやいの言い合うから、

人間社会は存在し、人間関係は存在したのだなと気付かされてしまった。

もう私には戻る場所が皆無なのかも知れない。




















誰かの為に生きられるだけでは駄目だったのだな。

誰かの世話や面倒にもならないと、

その誰かの生きる意味を創る手伝いにならなかったのだな。

私は独りで独走してしまったから、

誰とも関われない、本物の孤独人間になってしまったのかも知れない。

私にはまだ命がこの世との繋がりとして存在して居る。

この命が繋がって居る間は、まだこの世に生きて居て良いと言う意味なのだろう。

何か勉強する事がまだあるのだな。

でも物凄い事に気付かされてしまったから、

正直、神の前に在って恐れ多い気がするのも確かである。

私は宇宙や存在界の掟破りでもしてしまった様な気持ちである。

私はいつまでも完全にはなれない、

だからまだまだ成長の伸び代はある事だろう。

だけど現実と言う感覚や感情の交錯するこの人間社会には、

私の求める完全への道は無いと解って居る私なのだ。

きっと心の中の本質部分に『完全』は眠り、

そこで生きる事が、最後まで完全に向けて走る私の在り方だと思って居る。





















これからも真心や愛と言う『本質』に、心の中で立ち返りながら、

皆さんとの少しの現実での関わりや刺激から、色々勉強しながら、

神界の導きを受けながら、

時に妬まれ、蔑まれながらも、自分にしか出来ない生き方をして行こうと思うのだ。












おわり