NAOBON’s diary

日々の心の発見を多くの人に伝えたく綴って居ります!

「本質界に戻りたい、戻ろうかな~、でも表層世界も棄てない!(^-^)/」

私は他者を叱りも出来るし、相手を愛で包む事も出来る。

どちらも出来るのはいつも、表面的な世界、例えば感覚や感情と言った表現の世界で、である。

私はどんな表現も出来るのだが、相手を見ながら判断して伝える様にして居る。

例えばこの人間(ひと)は、今、愛を欲して居るから、注意するより包んだ方が良いなとか、

別の誰かなら、人格的に信頼出来るから、もっと上の世界を教えても、ちゃんと進めるだろう、

だからわざと足りない部分を厳しく伝えたりする。


















私は「本質世界」を知って居るせいで、表層界で他者の落ち度が解り続ける事も可能だし、

表層界で痛みを潜り抜けて来た経験上、皆の痛みに同化し、愛で許し包む事も可能である。

最後まで知って居るからこその、双方どちらも出来る変わり者である。

でも私を信じない人間には、私のそんな気質を理解する事は難しく、

殊に注意する方に私が回った時の相手方は、思いっきり信じられない故の抵抗をする事が多い。

私には委ねたく無いと言う抵抗や、自分に自尊心があり過ぎての言い返しが半端無いのだ。















私はどんどん相手の落ち度が表層の「不完全世界」に居ると解って行ってしまう。

だから相手にしてみれば、ガツガツ言われると面白く無いと言うのも良く分かるつもりだ。

私も敢えなく激しい抵抗に遭うと、こちら側の痛みも半端無いので、

実はもう表層の不完全世界には居られ無いな~と思う事がしばしばである。

相手を思って言う事が仇になって居るのであるから、

もう「どちらが悪いか、足りないか」の押し問答になるので、

どちらかを悪者にすれば終わると言うのも悲しい私は、

例の如く私から「私が悪かった」を言い出す事が望まれると気付く。















私が悪い事にすると私の他者を愛する心は深まり、

本質がますます成長して行けるのであるが、

それでは貴方達が成長出来ないだろうと、背負う方を譲るのだが、

皆さんにはそこまで真意を理解する者は皆無である。

「私が悪い」は今まで散々言い続けて来た私なので、

今更、辛い事も何も無いのであるが、

皆さんを愛せるからこその振る舞いは「私が背負う」から「皆さんも背負わない?」に変わった。

誰も悪く無いからこそ、自分から背負うと言う事が皆の一般常識になれば、

この世はもっと争いやイザコザが無くなって生きやすい環境になるであろう。

















説明はこれ位にして、私はそろそろ本質界にもゆっくり戻って行こうかと思うのである。

どうせ、私は元々「本質世界」の人間と言うか存在、

終わりの無い「不完全な表層世界」の責め合いや、

形での愛の包み合いの切りの無さにいい加減疲れ果てて居た所だ。

もう皆さんと不完全の痛みを分け合ったり、自分が背負い続ける事には、懲り懲りなのだ。

「心で愛を抱き、皆で幸せになろう!」と言う本質は、

いつだって心の中、見えない触れない世界に存在する。

フテブテシイ態度で接される時はいつも、私が表層世界をさ迷って居る時である。

私はその痛みにもう堪え切れない、だからもう心で神なる永遠愛に旅立とうと思うのである。

表層世界ではどちらが悪いと言う事も無いものだ。




















不完全の責任は民なる「人間」や「命」だけに有るのでは無くて、

神を信じない、永遠に旅立つ事を躊躇する「存在」全てが一様に背負って居る。

全員が今、神の前で「我々は貴方の前で仲良く、貴方の愛の様に、全てで愛し合います!」と

宣言すれば、私達はたちまち救われて行く事だろうと、私には解る。

でもフッと一笑に伏す人間がまだまだ沢山居ることを思うと、

当分の間、それは叶いそうも無く、諦める人間を最後まで諦めずに奮起させる闘いは、

非常に無駄に感じざるを得ないのも事実だろう。

変われないから諦める、と言うのが私は大嫌いなのだが、

暫しの間、この皆さんを救えない葛藤と格闘は続く事は言うまでも無い。

馬鹿らしいと言えば馬鹿らしい、一生懸命な私の頑張りはいつだって虚しく独りぼっちである。

でも負けないのが私の信条であるから、永遠の愛に旅立った以上、

私は永遠に負けないのである。


















表層世界と本質世界は私によって、そろそろ陸続きになった筈である。

どんな人間も諦めなければ、必ず本質世界への切符は手に出来る事だろう。

不完全を叩きのめし合う事に疲れた人間から、

どんどん本物の幸せに入り行くべきであろう。

苦しいからと放置して居ては、苦しみの意味を解明出来ずに、

表層世界をさ迷うばかりである。

だからこそ、愛し合う心(=本質)に照らし合わせて、

全ての問題を解明する努力を最後まで惜しんではならないのである。











おわり